「武士道の精神ってなに?武士道の精神があるとどんないいことがあるの?」という話題で盛り上がっている中国の掲示板を見つけました。ご紹介します。
■ スレ主さん
武士道の精神ってなに?武士道の精神があるとどんないいことがあるの?
引用元: http://tieba.baidu.com/p/3942998105
※ この掲示板は日本に興味がある人が集まる場所にあるので、発言が少々偏ってるかもしれません。
※ 下記コメントで言及されている事柄の事実確認は行っておりません。真偽の判断はみなさまでお願いします
[adsense]
■ 1楼さん
いいこともなにも、もう存在しないぞ。昔の話だ
■ 2楼さん
一種の奴隷精神
■ 3楼さん
ナチ思想に近いよね。一種の拘束力があって、国家主義を掲げて愛国青年を保守派にする
■ 4楼さん
日本の古い封建思想だな。他人に殺されることは恥で、自殺が栄誉なこととされていた。それだけじゃないと思うけど
■ 5楼さん
武士道とはすなわち「忠」。ただし盲目に忠にこだわりすぎた感じはする
■ 6楼さん
武士道は一種の自己啓発。ただし命にあまり重点を置いていない。その影響かどうかはわからないけど日本人は死についてよく話題にする。中国人は死については全く話さない。不吉だからな。武士は死を免れない状況ではかなり強かった。名誉ある死を求めるため、必死に戦うんだ
■ 6-1楼さん
死に良いも悪いもないだろ。死んだら終わりだ
■ 7楼さん
そういうのを研究した本とかないの?
■ 7-1楼さん
ルース・ベネディクトの「菊と刀」とかあるよ
■ 8楼さん
百度れ
(訳者注: 「百度」(バイドゥ)は中国の検索エンジンです。諸事情によりGoogleを使用できない中国において最も人気のある検索エンジンで、「ググる」と同様、「百度」も動詞として使用されます)
■ 9楼さん
死に尊厳を求める、それが武士道。ラストサムライを見てみたら?
■ 10楼さん
行き過ぎた忠義
■ 11楼さん
武士道についてよく知っているわけではないけど、なんか血の気が多そうだよね
■ 12楼さん
時代遅れの思想
■ 13楼さん
武士道とは古代日本に端を発する、主君のためなら死を恐れずに尽くすという思想のこと。現代でいう集産主義や団体主義に近いもので、個人の権利よりも主君への貢献が優先され、自身の能力を最大限に発揮して死を恐れずに主君へ尽くすことがよしとされる。と百度に書いてある
(訳者注: 上記「百度」には、Wikipediaに相当する「百度百科」というサービスもあります)
■ 14楼さん
100人の武士がいれば100通りの武士道が存在する
■ 15楼さん
切腹しか知らない
■ 16楼さん
一種の洗脳だよね
■ 17楼さん
下剋上
■ 18楼さん
ただの信仰。キリスト教バンザイの十字軍と一緒
■ 19楼さん
現代の日本人の団結力は間違いなく武士道に端を発している。「忠君」をそのまま思想化したものだな
■ 20楼さん
太平洋戦争が終結した時、2000人の日本人が切腹したと言われている。乃木希典も三島由紀夫も切腹した。飢え、痛み、苦しみ、疲れを恐れない。洪水や地震が来ても動じない。これが武士道だ
コメント
儲かるか儲からないかしか頭にない連中には
理解できないから諦めろ
それだと大半の日本人もわからないですよね・・・
お金を沢山稼いでても立派な武士は沢山いたし、貧しくて卑屈な武士だっていたと思う
「武士は食わねど高楊枝」=「清貧」って思われがちだけど、「やせ我慢」という意味もある。
儲けることが武士道に背くわけじゃないよ。
近代の歴史に名を残してる人達で、武士道を持っているなあ、と感じる人達には実業家も多いように思う。
武士道ブレード
そもそも日本人が全員武士道を心に持ってるって考えるのが間違いだろ
そだわな。武士階級なんて人口の1割しかいなかったんだからね。日本人のほとんどは無学な農民出身さ。
そうだよ
だから戦前の日本帝国陸軍は入隊したら、徴兵した縄文人出の農民を人を殺せるように出来るようにイニシエーションをやるしなかった。鉄拳制裁とかな。
武士道は、弥生系の支配層は中国大陸由来の戦士の気質を保持するには必要だった。国内外の危機に際して、普段は大人しくしているこの気質が役にたつのだよ。奈良、鎌倉、戦国、幕末明治はこれで乗り切った。今は眠ったままだけどな。
米国映画でも海兵隊の新人をしごき巻くるのが観られる。あれなんだよ、殺人マシーンに改変する為の手段だ。
実はそれだけではダメで、殺す為の納得出来る大儀が必要。日本の場合、中国大陸での対ソ防衛とそれを邪魔する鬼畜英米を殲滅する為の植民地解放による東亜新秩序の確立だ。
大儀があやふやだと兵士はモチベーションが上がらずPTSDに罹患する。太平洋戦争やベトナム戦争の米兵の様にだ。リメンバー真珠湾だけではダメだったという事だ。
武士でなければ武士道を理解できないというわけはない
明治維新のころ農民出身でも志あって武士と一緒に戦っていた剣士もいることだし
武士が生んだ文化や価値観が禅、茶道などを通じて広まっている
質素・清潔・潔さや厳しい掟に耐えうる性質、命のはかなさを愛でる価値観としてそれは庶民にも伝わっていっている
今の日本で、武士の家の出身の者だけが桜の命の短さや潔さを愛でるか?
たとえば無名の英雄、福島フィフティは全員武家の者か?
ああいうのが武士道精神だと思うのだが
上手い事説明するなぁ。感心したわ
一言で言えば「犠牲心」とでも例えれば良いのかな?
克己心じゃないか。
春秋戦国時代に人の道を説いた孔子も草葉の陰で泣いている事だろう
その頃すでに「中華オワタ」つて泣き暮らしてたのに 今更ねぇ(´・ω・`)
孔子は、「こんなんじゃ人間あかんよ、周の時代の精神に習おう。」
って儒の考え方をまとめたんだけど、結局たいして理解してもらえずに挫折した人。
当時から、大陸の人心はすでに取り返しのつかないぐらい乱れているようだ。
日本人の全員が武士ではなかったからとか抜かすアホが出てきそう。
日本人全員が武士ではなかったのは事実。
ついでにいうと、軍人は武士だと教育されたであろうことも事実だと思うけど(これは推測)。
英国人だって全員が騎士ではなかったのに騎士道精神が模範のようにされている
穢れを嫌い、恥を何よりも屈辱とし、高潔に生きようとする日本人の生き様を映したものが武士道精神なのだ。
日本人なら誰にも大なり小なり備わっているもののはず。
まさにそうですよね。
まるで武士道精神は日本人としての考え方を反映してないかのように言う輩がいるので、※5を書きました。
武
そんな階級無かったから中国人に分かるわけがないよ
武家階級や明治の元武家の言う事であり他は関係無い
江戸時代から無能な主君でも忠義を尽くす奴隷精神に変わったよな。
庶民だと武士道よりも茶道由来の粋とか風流の精神の方が浸透していたと岡倉天心が言ってるな
己の命よりも名を惜しむことだよ
それを「名誉の戦死」として悪用したのが旧日本軍の大本営
結局、敗戦し、散った人々の名誉も何も残らず日本帝国は破滅したのだ
俺は中国の古き良き思想が今も残ってるのかのほうが気になる
今の中国人見ても外目から見るとその要素が見られないからさ
色んな解釈はあるだろうけれど
葉隠の一説にこんな有名な言葉もある
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
意味合いとしては重要なことを決める時は
死にそうなほうを選べ
人間どうしても生に拘るから重要なときに
生に目がくらみ判断を間違えやすいぐらいだと思う
もう少し突っ込んで考えるといつも死んでもいい気で
暮らしていれば自ずと良い結果が付いてくるだと思う
私は生粋の日本人だけど
武士道の起源は我が韓国なんだよなぁ
わろたw
うまいな
まぁ、実際に「サムライの起源は朝鮮のサウラビ!」って主張してるしなw
色んなとこに書き込んでるけどやっとここで相手してもらったね
他じゃみんなにスルーされてて可哀想だったけど
武士道があったから日本では明治維新が起きたし、欧米列強の植民地にもならず、アジアで唯一の列強になるまで発展することができた。
それが無かった中国は土地が広く人口は多くても他国に搾取され続けるだけの近代史だった。
明治維新の立役者は英米だよ
江戸末期の日本は、英米の武器産業の見本市になっただけ
国が無くなっていたらそうだろうな
実際は総力戦を避けられたわけだが
むしろ第一次大戦の戦勝国へと進んでいく
日本だけに開国をせまったわけじゃない。でも明治維新が起きたのは日本だけ。
11の考えを現代風にすると
生死を分けるような重大な事態が起きたら腹を括れだと思う
またそんな事態が起きないように普段から励めにもなる
武士道とは、死ぬこと、つまり生まれる前の赤心を心の真ん中に持つことである。
生まれた後に得たものはこの世の借り物に過ぎない。
死ねば元の無に戻る。
そういう赤心があれば、ものごとに動じず、何物にも囚われない。
もちろん生きることは苦しい。
喜怒哀楽は必定。
妻子を養う義務もある。
ただ、喜んでも過たず、
怒っても失わず、
哀しんでも立ち直り、
楽しんでも分を弁える、
その支柱となるのがなるのが赤心、真心である。
家臣は君主に忠誠を誓い 主君は家臣と一族を全力で保護する。
戦で敗れれば主君は 命と引き換えに家臣の助命を願い 時には
家臣の行く末まで 敵対君主に嘆願して願いがかなえられれば潔く命を差し出す。
敵対する君主も帰順を誓えば敵対者だった者でも良く保護してなくなった旧君主との約束を守る。
能力次第で厚く取り立て一族は繁栄する。
武士にとっては農民は武士の家臣以上に大切な家臣。
映画、「切腹」を見たら良い、小林正樹監督
武士道と、武士道を美化しすぎるのも間違ってると。
人間道で良いでしょう。
あれは武士道の見本ではないと思うが、映画としてはとてもよかった。
武士道もいろいろあるけど、葉隠れになるとついていけないな。
ルールを守ったら負けな中国には理解できないだろ
偏見吐き散らしすれ?w
歴史ある国なら似たような概念があるはずだからそれと比較すりゃいいのに
まあ お上に対しての忠義心とか切腹とか安直に捉えるとなぁ。
精神というのなら犠牲心とかけじめとか他者への尊敬の念とか、普遍的なものを含んでいるわけだ。
武士道精神が共有されると治安が安定する
少なくとも白昼堂々レ○プや殺人が多発するってことはない
礼に始まり礼に終わる
戦国時代:武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ
江戸中期:武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり
江戸後期:武士は食わねど高楊枝
だんだん扱いがひどくなっていくwwwwwwwww
さぶらうもの
忠義に尽くし仕えるもの
皇族継承から流れた護衛貴族の時代から
源氏・平家の時代から
武士道が体系化された鎌倉・南北朝・室町から
変わっていない
日本の社畜って武士道から来てんのかな。
これ読んだらそんな気がしてきた。
社畜は文字通り家畜で西洋からだな
高度経済成長期までだと社員は家族の一員みたいなかんじだよ
明治に作られた商法なんかもそんな精神で作られてる
故に会社がピンチになると必死になる社員もいたけど
搾取という一面が出始めたのは田中角栄以降かな
それまで悪いものと考えられていた巨大な金が
そのまま力を表すモノになっていってる
近世の下級武士は、週に2、3回だけ登城した。だからかなりの暇人だった
加えて、年収は諸藩にもよるが、現代でいえば、100万~190万円。かなりの貧乏人
ただし、身分特権で税金を払わなくてよかった
よく近世武士と現代のリーマンが似てるとか言う奴がいるが、これ間違い。まして社畜のように働き続けるなんて事もありえない
まあややこしいわな
特に中国人だとちんぷんかんぷんだろう
権力と権威が別れていて
武官と文官、知識人を同じ階級がやっていたりするわけだから
基本民族殲滅戦が起きてないってのも理解の妨げになる
武士道精神を持つことに対して、損得を考えている時点で、お前は一生武士道精神は得られないwww
っていうか、中国人に武士道精神関係ないしwww
新渡戸稲蔵の「武士道」でも読めとしか言いようがないかな
新渡戸 稲造の「武士道」は読んだ方が良い。
サムライ道じゃなく、日本人としての心のあり方ってことが良くわかる。
武士道とは利己的な考え方を捨て
社会に対して貢献するという精神的教えだよ
自分を律し、教養や作法などで高めていく努力をし
尊敬される人間になること
同感。滅私奉公ということだよ。ただし「公」の意味は、必ずしも主君を意味するものではなく、己の信念に従うところにある。幕末の志士は脱藩して尊王攘夷に奔走した(事の是非は別として)。武士道は幕末に完成したと言えるね。
桜の散り様を愛でる層もあれば、花が目につかずともほのかに香る梅の奥ゆかしさを愛でる層もあったわけだよ。
いずれにせよ地位にふさわしい振る舞いをしなければ一族と土地と名誉を守れなかった、そんな時代の名残を文化と呼んでいるだけだ。
当時の美徳が現代の美徳と通じるかどうかは個々人によって認識が違うので後世の判断を仰ぐほかない。
まぁ、支那人さんには未来永劫理解出来ないから
気にしなくて良いですよw
三国志の関羽の最後で
敵に捕らわれて従えば命は助かるという場面で
それをしないで義兄で主君の劉備に忠義を示し首をはねられたよね
こういう忠義を重んじる姿が美徳とされ、それが日本に来て武士道になったんじゃないかと思ってるんだけど
今の中国人にはそれすらわからないんだね
武士道は日本式の真善美になってるんじゃないかな。
武士道と繋がるかわからんけど、
日本人は茶道や華道の一期一会、弓道の弓禅一如、西洋からきた野球ですら一球入魂なんて考え方をする。
その一瞬に自分の全てを出しきることが価値あることだとする文化があるんだろうね。
たとえば親が子供のために命を投げ出すことができるのを奴隷根性とは言わない。
命を差し出すに値する存在があること、それだけの価値が世の中にあること
そのために殉じることが究極の美しさであり真理であるっていう美学が、武士道なんだと思う。
でも別に中国人が理解できなくてもいいんじゃないかな。
日本人じゃないんだからさ。
中国人は「日本は唐文化の正当後継者」とか言うくせに
こんなときは沈黙するんだな。
あるいはもはや知らないのだろう
仁・義・礼・智・信の五常が儒教の根幹であることも
その思想が日本文化に大きく影響してることも・・・
それほどまでに明代以降の中国人の実践思想は土民以下になり果てた。
武士道を一言でいうと「ノブレスオブリージュ」って事。
それは日本だけのモノではなく世界にあり、中国にもかつてあった。
貴族が貴族であるだけの義務を果たす生き方の事。
それは貴族でなくても国家に属する一兵卒や
市民革命の参加者にすら課せられる理想である。
これを知らなかったから辛亥革命は失敗したんだよ。
富と権力だけ欲しがるから国共内戦なんてなるんだよ。
中国人は自分たちが何を失ったのかまだ解ってないし
これからも知らずに王朝交代を繰り返すのだろう。
武士道も日本の死生観のひとつの表れだと思われ
自分には関係ないと思ってても、
桜の花が舞い散るさまに美しさ以外の感情も重ねて見る心があったら
そこにたぶん民族伝統の死生観がある
農民でも商人でも漁民でも会社員でも役人でも寝たきりの爺さんでも
そんな状況が揃っちまったら武士道が目覚めるんだよ、きっと
士為知己者死 :士は己を知る者の為に死す
中国紀元前の書物、史記にある言葉である。
自分を高く評価してくれる者のために士は自らの命を投げ出すことも厭わない、という故事だ。「知己を得る」の語源でもある。
集権国家と職業軍人という社会構造が出来上がる過程で日本のもののふはこのような志を士道として学び、人殺しの技を磨くだけでなく精神も磨いたのである。士の心と書いて志。表意文字というのは面白く意味深いね。
規律と誇りなき武装集団は匪賊と変わらない。これは洋の東西、古今を問わず、文明国家の軍隊組織に共通する理念である。
現代中国はあらゆる意味で古代大陸文明から断絶した誇りなき哀れな国になってしまったのだなと改めて思ったしだい。
かつて元寇(高麗軍)がした日本人への余りの残虐な殺し方やいたぶり方に、
こんな扱いされる位なら潔く自決した方がましと判断したので切腹するようになったと言う説を聞いたが….。
生き方
ま、中国 の卑しい あれはあれ コレはコレの御都合主義道 と違う
ことだけわ確かだ。
正直武士道がなんなのかよくわからない。
>30、31
その新渡戸の「武士道」は西洋のキリスト教の倫理観に感激して、日本人欠落している(と新渡戸が思った)宗教的倫理観を補うためにデッチ上げたものなんだけどね。
江戸時代からの庶民の倫理的規範といえば石門心学とかなんだよね。
武士道の精神があるとどんないいことがあるかって?
儒教の教えに則って、皆が広く他人やものを思いやり、いつくしみの気持ちをもち、道徳・倫理にかなっている行動をとり、礼儀正しく、互いの信頼関係を気付き、主人や国家に真心を持って尽くすし、主君や国家は民に対して慈愛を持って接する平和な社会になる
武士道が国民に浸透して入れば、輸出用冷凍ギョーザに毒を仕込んだり、金儲けの為に赤ちゃん用粉ミルクにメラミンとか入れたり、工場の排ガスを垂れ流して煤煙で人々を苦しめる工場は、国家が取り締まり国内外の人々の健康に配慮する社会になるだろうね
それ武士道関係ありませんね。
後半のやつはほとんど昭和の日本にブーメランするやつだから、適当に言うのやめなされ。
しかも公害に至ってはまだまだ日本でも未解決の問題たくさんあるでしょう。
「下を見て安心」してしまう事こそ、武士道に反している気がするんですよねえ…。
もっと上を見ましょう。
新渡戸は中国じゃ知られてないのか
日本人は勇気が無かったから武士道ができた
中国人は礼節が無かったから儒教ができた
韓国人は情がなかったからセウォル号特別法ができた
大体儒教と同じだろ
未だに菊と刀はないだろう
三島由紀夫が書いてるのがあるじゃん
「人は一代、名は末代」 「名こそ惜しけれ」
武士道は日本人の美学さ。
まあ、中国人にはわからんでしょうよ。
騎士道がある西洋人ならわかるはず。
まあ、武士道が取ってつけたもんであったとしても、戦そのものが行われなくなっても、
どうせ最悪死ぬだけやし、いったれいったれ、という意識は結構日本人の奥底に染み込んでいる気がする。
必ず武士階級どうのこうの、全員ではないと言う奴がいるが、
階級が違えども日本人の価値観、美学が同じなのだよ。
簡単に言えば何が尊ばれ、なにが蔑まれるか。
死が怖くないわけではないが、死より怖いものがあるのさ。
実際、よそから見りゃ下らん理由でいっぱい自殺してんだろ。
名は重く死は軽しとみることで、本当に判断力に磨きがかかるのかは判らんが、まあそれなりに実践されているようだ。
あらためて武士道として学ぶ以前に、日本人なら多くの人が文化として自然と身についている。
むしろその日本人の規範・美学をまとめたのが武士道であり、
興味がなければわざわざ学ぶ必要もない。
いわば、日本人の常識・良識と法律の関係。
法律を学ばずとも良識・常識に従っておれば自然と法を犯さない。
損得で言えば、社会として全体で得だろうと思う。
個人では価値観なのでなんとも言えない。
名誉と生死、どちらが大切か?その大切なものを得る方が得。
中国人とは答えが違うはず。
武士道は今の日本人には無理だあれは我慢・根性・愛国心・忠義等の精神がないといけない領域だから
第二次世界大戦で日本があんなに強かったのはたんに武器や戦艦が強かっただけではなく精神面で大きく優れていたってのが大きいだろうね特攻隊や万歳突撃そして捕虜になるのを拒み自ら死を選べる精神も元をたどれば武士道だろうね
俺達の御先祖様はすごかったんだろうね
江戸時代でもみんな武士の高潔さに憧れてたみたいだから、武士道は理解してたろ。
施しは受けないとかさ。
自分は青山繁晴さんの解説が心に響きましたね。
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」
この言葉には一言省かれている。
それは誰か
誰かの為に死ぬという事は、誰かのために生きると言う事。
「武士道と云うは~~の為に生きる事と見つけたり」
動画もyoutubeにあるよ。
中国人に武士道=猫に小判
豚に真珠だと思う
日本の武士は公務員だ。
命をかけた、金にもブレない素晴らしい存在。
同時に学者でも医者でも技術開発者でもあった素晴らしい存在。
それが日本を発展させた。
騎士のような戦闘に特化してる存在では無かった
>武士道の精神があるとどんないいことがあるの?
南京攻略w
とりあえず、銀魂を読め………
……………………………………
確かに、何だかんだで一番分かり易く描かれてる気がする。
手放しでオススメはできないけどwww
中国オタクは結構読んでるみたいだし、なんとなく分かってる人もいるかもね
道は深い
あらゆるものに通じる
道を極めるには他の道にも通じないと
魔改造しつつ日々精進
神道 武道 武士道 書道 華道 茶道などなど
現代なら、職人つかオタと同じ哲学だよ文武両道
徳も同じかと
勇の徳で例えると、勇気には色んな勇気がある
最初の一歩を踏み出す勇気 進む勇気 退く勇気 やめる勇気
受入れる勇気 責任を取る勇気 叱る勇気 間違いを正す勇気 断る勇気 謝る勇気
他の徳でも種類がある
色んな徳が全て備わり徳となる
孔子などの古代中国の哲学者は、理解してたんじゃないかな
>ラストサムライを見てみたら?
それを本当の歴史と思ってるんだよね?
アメリカ人の侍なんて、日本の歴史上にいないんだが。
ほんと、洗脳が簡単に出来る国民と思ってしまう。
ちなみに、中国人は理解出来ないだろうね。
現在でも、災害が起きても我先に逃げるだけ。
ボランティアなんて言葉すら知らんし。
他人の物を見て羨ましがり、奪うことしか知らない中国人は永遠に分かるまい。
むしろ
武士道とは何ぞや?
っていう問いがあるくらい、曖昧なものだよ。
武士が死ぬ間際にでもその答えに至れば御の字な境地なんだから。
自分の生き様、自分の信念、自分のやりたいこと。
この答えだって武士道だよ。
武人階級の弱い中華圏では理解できんでしょ。
何かをする時は死ぬ気でやれ、っていうだけ。
命を懸ける前提で生きていると良く考えて行動するし、行動にも一貫性と説得力が出る。
半端な気持ちで生きていると、アレが欲しいと思っては左へ行き、なにが辛いと思えば右へ行き、っていう右往左往した人生を送ることになる。中国人と日本人に決定的な文化の差があるとすればこの精神性のあるナシだと思う。
勿論、この考え方も万能ではないが、一般庶民まで気合の入った生き方をしてる国と、下々がのんべんだらりと生きている国ではいざと言う時の強度が違ってくる。
武士道がもう滅んだ?んなことはない。現代日本人の若者も頑張ってる子は結構こういう心構えを持ってるよ。
君に忠、親に孝うんぬんは、教育勅語にも含まれてるだろ。
武士道を極めていく事によって実際の武力行使は抑制的になるという事に想いが至らないのは如何な物か。
武士道とは死ぬことと見つけたり
はい終わり。
なんか儒教と武士道をごっちゃにしてる米欄だな。
簡単だよw
中国人のお前が武士道精神を得たいのなら、一生共産党の下僕になりなさいw
君主に尽くす、それが、武士道ですw
何よりもまず損得を考える中国人には理解出来ない概念でしょ。
そういった精神ってのは、利益を生む何かでは無いからな。
だから気にしなくていいぞ。
>>4
「討って誉れ、討たれて誉れ」という言葉を知らないなら、武士道語るなよ。一般武士は名のある相手なら、討たれて本望だし、討死は逃げずに最後まで戦ったという証明であり、功績として認められた。従って、討死でも恩賞を与えられた(武士が逃げないのは討死も名誉ゆえ
「時代遅れの思想」
時代遅れの未開人チャンコロに言われても!?
戦国期の土佐武士の逸話で、兄の養子となった武士がいたが、ある時、武器を持たぬ罪人武士を斬殺してしまい、それを養父(兄)に知られてしまった。「太刀を持たぬ武士を討つは、死人の首を取るに等しい」と激怒して、勘当し、3年間、合わなかった。己の実力で武装者を討ち取ってこそ、武士道と言う事
一方、源義経は、幼少を寺で育ち、武家風習を知らずして、中国兵法を学んだ結果、馬は射殺する、非武装の舟の漕ぎ手も射殺する(また、後ろから攻める)といった、それ以前の武士道をぶち壊した。武士道無き武者と戦国の世にあっても貫く武士では格が違う
>>70
逆だろw
幕末時の志士達のように体制を変えるのに命を掛ける位じゃなきゃ
その点で言うと天安門で命を散らしていった学生達は中国人ながら真の武士と言える
損得や見返りを求めてる時点で理解できねーよ中国人には www
簡単に言うならば信念、思想を何があっても絶対に曲げずに貫く意志や精神の事、その結果例え死ぬ事になってもね。
水と油、それこそ数千年の奴隷根性歴史を通過してきた中国人に理解できるわけが無い。
これが理解できたら、中国人旅行客が世界で恥を晒すわけが無い、恥を晒してる事すら理解出来ないのが中国人。
中国人と日本人は死生観が全く違うと
台湾人から聞いたことがあるわ
中国人はどんなことをしても死にたくない
日本人はどうせ死ぬなら美しく死のうと考える
どちらも長い期間を通してできたものだから、そう簡単には変わらないわな
菊と刀なんぞ勧めるなよ
武士道とは死ぬことと見つけたり。
葉隠にかく記されるけど、これって要は、
いつ死ぬか分からないから、いつ死んでも困らないないように、
身の振る舞いや、身の回りをきちんとしておこう。
死んだつもりでそう臨んで生きれば、いつ死んでも恥ずかしくないよ。
って意味だよな。
生き方であって損得ではない
武士道とは
諸葛亮孔明や関羽雲長の生き方
どっちかといえばやせ我慢の生き方
中共に郷紳層が滅ぼされた今の大陸の支那人は骨の髄まで利己主義で商人根性だから、武士道を理解できようはずもない。そもそも公というものをあまり尊ばず、血族の福禄寿しか考えない価値観だから、社会をよく保つために精進努力するという姿勢が欠如している。
武士道というとやたら死に方が注目されるけど、
第二次世界大戦中の
「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」、
「エクゼター」と「エンカウンター」、
の2つの話がもっと知られて欲しい
武士道と騎士道がわかる