日本文学を読み始めた中国人のスレ主さんですが、内容を全く理解できないようです。そんなスレ主さんの中国の掲示板をご紹介します。
■ スレ主さん
今日、川端康成の雪国を本屋で買ってきた。50ページほど読んだけど意味が全くわからない。芥川龍之介の本も読んだけど、部分的にはなんとなくわかるけど全体としては何が言いたいのかやっぱりよくわからない。ガルシアマルケスの百年と孤独も理解できなかった。ノーベル賞の作品は難解なの?バカにはわからないの?
引用元: http://tieba.baidu.com/p/3601792560
※ この掲示板は日本に興味がある人が集まる場所にあるので、発言が少々偏ってるかもしれません。
※ 下記コメントで言及されている事柄の事実確認は行っておりません。真偽の判断はみなさまでお願いします
■ 1楼さん
芥川龍之介は深いよねぇ
■ 2楼さん
大衆ウケする本はノーベル賞は取らないわな
■ 3楼さん
夏目漱石は読んだ?
■ 4楼さん
雪国はぱっと見読みやすそうなんだけど、描写が細かすぎて読めば読むほどよくわからなくなるかもね
■ スレ主さん
描写が細かいのは問題ないんだよ。言わんとしていることが全く理解できない
■ 4-1楼さん
テレビドラマを見てみたら?
■ スレ主さん
俺は本を読みたいと言っている
■ 4-1楼さん
スレ主さんは頭が固いんだねぇ
■ スレ主さん
おぅ。なんとでも言ってくれ
■ 5楼さん
スレ主さんに全く同感
■ スレ主さん
だよね。やっぱり俺たちはバカなのかな
■ 6楼さん
村上春樹も全くわからない
■ スレ主さん
俺は村上春樹は理解できるかな。あれは逆にバカのほうがよく理解できる気がする
■ 6楼さん
東野圭吾は面白い
■ スレ主さん
賛成!中国でも同じような小説があるけど、日本のほうがリアリティがあって面白いと思う
■ 7楼さん
川端康成だったら古都が比較的わかりやすいかも。川端康成って語感が美しいよな
■ スレ主さん
語感が美しいのはわかるんだけど、何が言いたいのかがイマイチわからない
■ 7楼さん
わかりにくい文章ではあると思う。主人公は島村で、雪国では駒子が出てくる。島村はダメな男として描かれてる。作者の意図を考えて読まなくちゃいけないんじゃないのかな
■ スレ主さん
島村って無駄に骨を折るところがあるよね。俺と通じる
■ 7楼さん
解釈は個々人で違うと思う。駒子は島村を愛していた。でも駒子には不治の病の夫がいた。だから島村は踏み切れないでいた。日本文学の男の主人公ってなんか煮え切らないよな。源氏物語もそう
■ スレ主さん
いや、島村は間違ったことをしていないと俺は思う。芸妓相手だったら誰でもそうなる。本当に愛する前に躊躇するのは自然な反応だよ
■ 7楼さん
島村は雪国では駒子を受け入れてたけど、雪国を離れると拒絶するんだよね。俺はここがよくわからない。人によって解釈が違うから、スレ主さんはいろいろな人の感想やコメントを読むといいかもよ
■ 8楼さん
スレ主さんが中国語の翻訳版を読んでいるのだとしたら、翻訳家の技量も大きいと思う。特に日本の純文学は文化と言葉に依存しているようなものだから、日本語を勉強して原文で読まなきゃダメかもね
コメント
そういうのあると思うよ。
日本人でもなぜこんなに無駄に描写が細かいのか、とか思う小説あるからね。
いろいろスタイルあるんだよ。
中国の昔の作品だって編集概念が今とぜんぜん違ってて専門家にまとめて
貰ったものじゃないといくら翻訳されててもまもとに読めないだろう。
俺もスティーブン・キングの小説は理解できない。
あ、そういうことじゃなくて?w
大丈夫…本を読む時点で勝者w
文学なんて一部の理解出来る人達の為の物で良いんじゃ無い?
どうしても理解したかったら何度も読み直して他の人の考察で色々ヒント貰えば少しは真意に近づけるのでは?
人の借り物かもしれないけど全部貰い物ではなく他人の考察によって
ああ、そこはそう理解すれば良いのか!!そういう見方もあったのか!?等の[読み方]が上達すれば自分なりの新たな解釈、発見もあるだろう
それをを楽しめれば日本文学って言うのもちょっとは理解出来る様になれるのでは?
これは言っている事分かるわw
残念ながら日本の近代文学の草創期に「私小説」とか「リアリズム」が蔓延した結果、それこそが正しい文学、純文学だという価値観が権威を持ってしまった。だからストーリーが物語の背骨であるという物語の原始的形を疎かにしてきた部分はあると思うよ。
デュマもユゴーもJ・オースティンもE・M・フォースターも翻訳が如何に酷かろうが原文読めなかろうが筋書自体が面白いけれど、鴎外も漱石も芥川も太宰も原文の文体とか雰囲気がなくなれば全く面白くない。ドストエフスキーだってストーリーは面白いし、原文の雰囲気が分からなくても頭デッカチな分論理で異国人にも伝わる。
だから日本の所謂純文学っていうのは多分源氏物語とか近松門左衛門の子孫じゃなく、和歌とか俳句の子孫なんじゃないかな。
同意。
源流を遡っていくと、近代私小説→俳句→和歌→日記文学→私家集(自分が詠んだ和歌を私家出版したもので、公的な勅撰和歌集じゃないから「私家」)なのよね。
貴族は自伝を作るために詠んだ和歌をずっと保存しておいて、それに状況説明の「詞書き」を付けて纏めたの。
土佐日記、蜻蛉日記、更級日記、和泉式部日記とかは日記って呼ばれてるけど実はメインは和歌なのよ。
和歌は天皇が国家事業として勅撰和歌集を編纂するくらい日本文学のメインストリーム。
だから近代の私小説は実は日本文学の本筋で、元が和歌なんだから恋愛とかウジウジ悩みを吐露するのが自然多くなる。千年ずっと心理小説書いてたようなもんだから、血湧き肉躍る一大叙事詩なんてものからは程遠くなるのも道理よね。
ただ、古事記なんかは叙事詩のような性格がある
物語もたくさん作られて来た過去があるから、一概にこうとは言えないのでは
むしろ日本の漫画やそれを元にしたアニメの物語が外国にはないほど豊饒で、強い影響力を持ち得ているのは、過去にそういう蓄積があったからだと思う
ギリシャ神話と共通点のある物語が日本には多い
別に愛国主義者ではないつもりだが、日本文化の普遍性と豊饒さは、割と見落とされてる点だと思う
外国からは、日本というのは文化的に孤立しているという評価がいつもつきまとうでしょう?
イタリア人が日本のハリセンを用いた喜劇を見て、自国の伝統的な喜劇にもそのようなものがあると言ったり、日本の噺家のイタリア公演の演目を聞いて、ノーベル賞受賞者のダリオ・フォの作品みたいだと言ったり、シェイクスピアのグローブ座の舞台の構造が、日本の能楽堂の構造とそっくりだったり、たぶん本質的な感性は万国共通で、それを汲み取る能力が日本人には確かにある
それが埋没していてポテンシャルが正しく評価されていないのはもったいないと感じることもある
しかし現代日本作家が不甲斐ないからね
あなたの仰っている事は尤もだけれど、元レスの人の話はそういう話じゃなくない?
つまり「日本人には筋書を書く才能がない」という話ではなく「近代文学に於ける筋書の軽視」という話。
漫画やアニメのプロットの豊富さは逆に近代日本文学が如何にプロットを軽視してきたかを裏付ける話でもあると思うよ(=日本人はプロットを書けるのに、殊純文学に於いてはその能力を発揮する気すらなかったという意味でね)。
純文学は美しい文章や表現を楽しむものでもあるからな
翻訳者の力量もだし読者の感性にも依存する部分は大きい
正直エンターテイメントを期待して読むような面白さは無い
そもそも私小説なんて他人が読みやすいように配慮して書かかれてないからな。
作家自身が衝動的に表現したくて表現したもので、美術館のピカソの絵みたいな感じ。
普通の人が特殊な作家の個性を「なんか意味分からんけどすげぇ」って面白がって観賞したり、
本当は理解すらしていないけど、難しそうな解釈を理解したつもりになって高尚な気分に浸る為のもの。
作品そのものが素晴らしいというより、人類として希少な作者の特殊性を保存するツールとして価値がある。
日本の小説に限らず書籍は原文で読んだほうがいいだろう
素直でたいへんよろしい
古い小説なんていうのは人によっては解けない問題みたいなもんだ
何十年も先の人間に解けるように書いてるかどうか分からんし、そこまで思いやる義理もないしな
模範解答的なものを読んで、解けないものを解けるフリをするよりは良い反応だよ
> ■ 4-1楼さん
テレビドラマを見てみたら?
> ■ スレ主さん
俺は本を読みたいと言っている
ああ、こういうこだわり方は (・∀・)イイネ!!
まあでも日本文学に限って言えば
英訳より中国語訳のほうがつかみやすいかもね
字面見てバーンと刺激受けるとか英語単語じゃ出来なくて漢字なら伝えられるし
ラノベなんかはカタカナで書いたニュアンスとかあえて平仮名で書いたニュアンスとかも翻訳でどこまで伝わるか解らんけど
まあ逆に日本語訳本もどこまでその地の文化含めて元のニュアンスつまってるのか知らんけど
最大の難所はやっぱ作者の考えだよな
説明しすぎてもコントを説明されるみたいでがっかりだし
ということで管理人さんいつも翻訳ありがとう
※5
>だから日本の所謂純文学っていうのは多分源氏物語とか近松門左衛門の子孫じゃなく、和歌とか俳句の子孫なんじゃないかな。
おお、しっくりくるわ
ちょっと浅越ゴエに教えてくる
親指ナンチャラ・リアル鬼ごっこから始めましょう
バカバカバカwww
日本文学一回読んで理解できたら、天才だろw
哲学的だから、理解するのに時間はかかるw
日本文学って哲学的かな?
どちらかと言えば直観的・感覚的だと思うけれど。
だからこそ原文の響きがなくなれば一気に魅力を失うのだと思う(´・ω・`)
>5
お前が馬鹿だというのはわかった
横レスだがどのあたりが?
参考までに教えて欲しいな。自分も気になる。
まあ読み方っつうか理解の仕方のコツもあるからとっつきにくいのかもしれんね
わかるわ
何だかんだ言って東野圭吾が一番読みやすい
単純にこの人が中国のアスペってだけな印象
この人の考える「文学の楽しみ方」の枠内で楽しめない小説に遭遇したってだけで別にアスぺとか関係なくね?
だからアスペだから楽しめないんだろうって話
何を言いたいのか?って明確な理由を求める読書観だったり
ドラマでは見たくない!って本で読むことに固執したり
自分ではバカと言いつつ、頭固いと言われると反発するようなコメント返したり
いかにもそれっぽい
多分「ただ感じ取るもの」とか「ただ生き様を眺めるように読むもの」とか伝えても
この人はまったく理解できないだろうな
それと関係ないけど、ネット上ってアスペに対して
バカにしてるとか、バカにされてるとか思いすぎだわ
信号見分けるの難しすぎ←色盲なんじゃね?とか言うのと変わんないよ
アスペルガー症候群・広汎性発達障害を持つ人に見られる特徴抜粋
空気を読むのが苦手、偏った考えを持ちやすく物事を白か黒かの両極で判断しやすい、一般人の持ち得る常識が備わっていない場合が多い為、自分では普通に話しているつもりでも相手側から失礼だと言われることがある。また物事の細部や一点にのみ意識が向きやすく、物事を全体として捉える能力に欠ける傾向が強い etc。。
あなたがそうだなどと失礼な事は言わないが、簡単に他人をアスペ認定したがる行為そのものが、実はアスペルガー症候群に見られる特徴の一つに挙げられているという事だけはあなたも知っておいたほうがいいと思う
理解できるかより、感じとれるかの問題。
なに深イイこと言ってるんだ(´ω`)もらった!
娯楽物に慣れすぎたせいじゃないのかね。
日本の文学は同人誌作品が一般化したって独特な部分が有るからなあ
仲間内のお約束による表現って部分がどうしても中心になる
川端じゃ無理ないな
ストーリー内容が面白いわけじゃない
文章がうまいわけでもない
雰囲気が素晴らしいわけでもない
じゃあ何が魅力なのか?
エロだよ、エロ!
川端からエロを抜いたら、なにも残らないぜ
とにかく川端は「眠れる美女」を読め
そして、それ以外は読む必要はない
初めて読んだときはオナニーしちゃった、てへ
おれは、三島の憂国はエロ小説だと思ってた
とりあえずあの時代はエゴイズムの塊なんじゃない?
素直で良いと思いますw
川端や三島みたいな淫さを内包してる作家からそれ抜いたらおしまいだよね
俺は、「泥棒日記」を3行程で辞めたよ!
確かに中国人という人種は非常に単純だ。
まるで日本の小学生が体だけ大きくなったみたいなもの。
でも日本人でも小学校の国語の教科書で読んだ文学作品がある程度理解出来るのは、ある程度大人になってからだから。
中国人が精神的に大人になれば多少は理解出来るかも知れんな。
Don’t think, but feel. ってブルースリーが言ってた
川端は原文の美しさを楽しむものだから仕方ないかな
だがガルシア・マルケスがわからないってのがわからない
雪国も百年の孤独も、読んで何かを得るような本じゃないが少なくともマルケスの文章はわかりやすい部類(好き嫌いはともかく)
思うに論文とか結論までガッチガチな本に慣れすぎて抽象的な小説読むのに慣れてないだけなんじゃないかと
ああ「雪国」ね。確かにあれは死ぬほど退屈ですw
村上春樹はバカのほうがよく理解できる気がする・・・なかなかよく読んでますね。よくわかってるw
抽象的な小説・・いや抽象的な川端なんてありえんだろ。むしろ具体的すぎるっていうなら分かるが。
ストーリーは、文の格調をたかめる手段みたいな川端だから、語感に美を感じない人には分からないだろう。
まあ、「古都」のようにストーリー自体に面白みがあり読みやすい話しもあるが・・。
読むタイミングにもよるよな
始めて読んだときは全く理解できないし共感できないと思ってたものが、
数年後になんとなく読んだときパァッと理解できて感動することもある
逆に若い頃は感動したのに、年を取ってから読むとなんだこれとなるものもある、太宰みたいにw
あとこの作品は好きだけどこっちの作品は嫌いとかもあるし、
食わず嫌いせずにいろんな作家を読めばいいと思うよ
理解できなくてもいいと思うよ
100人いれば100通りの解釈があるんだし、文学賞なんて審査員の趣向の問題でしかない。
ただし「なんにも分からない」というならアフォとしか言い様が無い
それ感受性の問題
俺なんか「天才バカボン」が理解できないぞw
余りにしつこ過ぎるのはうざいし革命革命と煩いのも好きにはなれない。
小説くらいが一番合ってるからそれが一番多かったな。外国の文豪の方がまだマシ。
言葉自体は理解できても深い意味なんてわからないものは山ほどある
小学校の国語の教科書に谷川俊太郎だかの
カムチャツカのうんぬんっていう詩?がのってたけど
それがなに?っていう感想しかなかったし
大人になっても意味は分からない
わかる人だけがわかる、それが文学っていうものだと理解している
極端な話「萌え」でもそれを誰かが権威づけてしまえば
高尚なものとして扱われかねない
「芸術」や「わびさび」ってのもそういうもの
わかったようなふりをしたり、わかったような事を言う人も大概気持ち悪いけど
一番目を合わせたくないのは、わからないいいおおおおと喚く輩だなァ…電車の中しかり、会社の中しかり、家族…
みんな色んなこと考えて本読んでるんだな
読んだ時間を無駄にしたくないとかなんだろうか
引っかかっても引っかからなくてもそれがその人に残されたものなんだから
それで終わりにすべきだと思ってしまう
わからないことで悶えて声を上げるくらいいいじゃん
何が気持ち悪いんだか
まあお前に目を合わしてもらわないと困る人間などいないからいいけどなw
え、文字通りじゃん?思った事を垂れ流す人って迷惑だよね。
さっき本屋で「くおっ」とかなんかよくわからん大声奇声を発して床であぐら読みしてる池沼見たよ。
しかも誰かがそれに反応するのをちらちらチェックしてた・・・
そのうち周囲に異臭が立ち込めたので店内から人の声が消えたよ。
わかんないよーわかんないよーってかまってちゃん()だよねw
本は結構読むけど、唯一大江健三郎の本が理解できなかった・・・。
>言わんとしていることが全く理解できない
理系のガッコ出身だからなのか昔から国語、特に長文が苦手だ。
文庫本も昔はそれなりに読んでみたが、今では専門書しか買って無いことに、今気付いた・・。
文学はそんなあなたのためにあるのです。
先ず手始めに「赤い蝋燭と人魚」と「手袋を買いに」を読まれてはいかがでしょうか。
読了して何か心に残るものがあったら脈があります。
次のステップとして「ボヴァリー夫人」と「赤毛のアン」をお勧めします。
読後、股間に熱いたぎりを覚えたら文学愛好家へあと一歩です。
仕上げとして「ペリーローダン」を前作読破すれば、並みの人間はあなたにひれ伏すでしょう。
まぁ騙されたと思って挑戦してみてくださいね。
中国人よ安心しろ。
俺にも分からん。
物語(あらすじ)が重要なのか、文章の表現そのものが重要なのかで変わってくる。
前者なら翻訳でも問題ないけど、後者は原語でないと理解しにくい。
日本人でもわからないんだから、外国人がわからないのは仕方がないよ。
気にすることはない。
「たけくらべ」はページ開いた瞬間に閉じたわ
日本語が読めんかった
欧米の小説の方が細かい描写とか何かの引用とか多すぎて読むのが苦痛になってくる
ハードSFなんて拷問だもん
超訳の方が良いわw
文学なんて合う合わないがあるしな
別に分からないならそれはそれでいい気もするけど
無知蒙昧してりゃそのうちわかってくるものだし
日本人の私でも理解出来ない
同じ日本語なの?と思うほど、言ってる意味がわからない
学校の授業なら、先生から解釈の説明があるから
理解出来るのだろうけどね
一生懸命雰囲気を伝えようとするもんだから、
結局お前何が言いたいんだよ?と思うのは理解できる。そういう表現が日本語は得意だからなおさらだよね。こんなのばっかり読んだ後にアメリカの作家の本とか読むと凄く簡潔に言いたいことが書かれててちょっと感動するときがあるよね。
分かんなきゃ読まなきゃいいだけ てか読むなよw
その国の情緒が理解出来なきゃどの国の文学も理解できないわな
翻訳が悪いんだろう。
欧米で日本の近現代文学の評価が高いのはひとえにドナルド・キーンの功績と言える。原文のもつ微妙な言葉の機微や美しさ、技巧を外国語に移すのは非常に大変なんだ。
話の筋が追えればいいような娯楽小説なら両国の言語と文化に精通した優れた翻訳家など必要ないけど、文学の翻訳はほんとに難しいんだよ。
村上春樹は、本人も言ってるが物語重視だから外国人にもわかりやすかろうな。
正直、俺も近代小説はようわからん。あんまりウジウジされてもねえ。
泉鏡花なんかは文章だけで酔えるけど。
芥川龍之介読みやすいし面白いじゃん
文庫本だけど小学校でも読めてたぞ
やっぱ翻訳?
そこまでチャイナと感性が違うと思えんが
何が言いたいのか分からない?人それぞれで良いでしょ?
あと、無理して難しい自分に合わないとか読む必要ないから。
音楽と同じだ、合う合わないがある。何でもそうじゃないのか?
「細雪」の最後で若い女性が下痢になったっていう文が出てくるんだが
翻訳を読んだ欧米人はそれにショックを受けるらしい、と某随筆に書いてあった
若い女性が下痢することを隠さず書くことと、高尚な文学に
「下痢」という医学用語が出てくるのに驚くんだと
感性の違いと宗教性の違いは大きい
まあ日本文学の翻訳読むなら夏目漱石が読みやすいかもな
あの人英語の先生だったから文章がはっきりしてるし
それでも川端の語感が美しいと言ってくれる中国人もいるんだね。
訳がいいのか 原文で読んだのか。
ほんとに川端の文章は美しいと思うよ。
ここインテリ多いな(笑)
文学はまったくだけど、何が書いてあるかなんて目的意識をもって書かれた小説ってあるわけ?
情景やストーリーがあって、読んで「自分に何が残るか」ってものだと思うんだが・・・
ゴキブリには理解できないだろそりゃあ
当時の風俗(H系に非ず)とか日本独特の言い回しとかあるから
日本人でもちょっとムズイしイラつくかもね
ガルシアマルケスの百年の孤独は誰が読んでも面白いと思うよ。
凝り性で色々な方向に突き詰めすぎて訳解らなくなる事は日本ではよくある事
そのおかげで多様性やサブカルが生き残る深さがあるんだけどね
■ スレ主さん
俺は村上春樹は理解できるかな。あれは逆にバカのほうがよく理解できる気がする
ああ、やっぱり中国人でもそう思うんだ。言語を超えてそういう普遍性を綴れる村上春樹は天才かもな。
作品自体は糞つまらないのは同意するよ。
村上貼る気はないわー
貼らんでいいよ。
ありがとう、クスッと来ました(笑)。
川端とかあの時代の日本文学は読者層が限定されていて、誰でも読んでよく分かる、というもんじゃないからな
あの時代の教養を持った人間に共通の土台みたいなもんが必要なんだ
だから現代人には馴染みにくいし、まして中国人には無理な部分も多いと思う
どうでもいいような娯楽小説じゃあるまいし、それ相応の教養が求められる
そんな当たり前のこともわからない頭のレベルなんだろ
漫画でも読んでればいいんじゃない
面倒なのを楽しむって感じだなぁ。
独特の楽しみ方があるけど、基本に通ずるところは同じだから、要は慣れだと思う。
「掌の小説」から入れば川端康成は理解しやすいと教えて上げたい。でも中国語ができないから教えて上げられない。
「要するにナニが言いたいんだテメエ」という視点からいえば(笑)、川端やマルケスもそうだが、プルーストだってジョイスだって、いや別に大層な「文学」じゃなくたってみんなそうだともいえるからな。
ただまあ川端康成が「わからない」という場合、それはジョイスやカフカやカミュがわからないというのとは違うだろうし、当たり前だがミステリーで犯人の動機が理解できないというのとも違うはずだ。
この人の場合、一方でガルシア=マルケスの『百年の孤独』もわからない、しかも川端についての質問でそれに言及している、というのをヒントにするしかない。当てずっぽうだけど、この人は、フローベールやラディゲ、あるいは志賀直哉なんかについても同じ様な感想をもつんじゃないだろうか。魯迅の(『阿Q』以外の)小品なんかについてはどうなんだろうね。
わからないものを腹にためてもやもや考え続けるのも、割と楽しい。
分かりたいと愚痴れるだけ、可愛いかも。
最近そういう意欲や興味さえわかないのでまずいなって思う。
諦めないで挑み続けるのも大事だよね。
まあ、分からないからってひたすら批判と愚痴に執着するのもなんだから
今は分からなくていいやって肩の力ぬくのも必要だろうけど。
翻訳だと思うけどね。あと白話の問題。
翻訳者を育てこなかった時代が50年も続いたのだし
日本の文献や技術資料を翻訳できるだけで教授になれてしまう時代が20年続いた。
そもそも白話がいろいろ欠陥言語すぎて中国語の奥深い表現力を失ってる。
なので、現代中国語への翻訳は実利に特化せざるをえず情緒を翻訳できないままなんだろう。
白話以前の書き言葉を復興するしか中国人が賢くなる事はないかと。
この手の小説にエンターティメント性を求めちゃいかんわな
単純に楽しめる小説なら賞取るような作品よりも人気作家の本を漁ったほうが早い
古都は俺も好きだ
フィネガンズウェイクはネイティブの人には読みやすいんだろうか
中学生のとき雪国を読んだけど俺もよく理解できなかったな
今なら理解できるだろうか
近代小説は小学生の日記レベルの物語性しかないからな
そのくせ文章は難解でやたら長いから質が悪い
文章の美しさと言えば聞こえは良いが…