「日本人がお婆ちゃんから頂いたありがたすぎる言葉」という記事が中国版ツイッターのWeiboに掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。
[記事]
日本人がお婆ちゃんから頂いたありがたすぎる言葉
おばあちゃんから「殺したい奴は寿命で勝て」というありがたいお言葉を頂きました。
— gg (@w_onderfullif_e) December 16, 2021
記事引用元: https://weibo.com/3229125510/L6CQgcL5m
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■ 河南さん
私に不老不死を! [87 Good]
■ 上海さん
陳友諒の部下の張定辺は豪傑として知られ、朱元璋より長生きしたことはもちろん、朱棣が死ぬ数年前まで生きた [23 Good]
■ エストニア在住さん
それは確かに豪傑だ
(訳者注:陳友諒は元朝末期の短期王朝・陳漢の皇帝です。覇権を争っていた朱元璋(洪武帝)との1363年の戦闘(鄱陽湖の戦い)で敗れて戦死し、陳友諒の遺体と息子の陳理を大混乱の中で拠点の武昌まで無事に持ち帰ることに成功したのが陳友諒の部下の張定辺です。陳理はその後陳漢の皇帝となるものの翌1364年に朱元璋に投降し、朱元璋は1368年に明を建国して初代皇帝となり、1398年に69歳で亡くなります。朱元璋と同様に明の基礎を築いたとされる朱元璋の四男の朱棣(永楽帝)は1424年に65歳で亡くなります。陳理投降後の張定辺の動きは定かではありませんが、一説によると出家して僧となって1417年まで生きたとされ、1318年生まれとされる張定辺は100歳近くまで生きたことになります。なお、鄱陽湖の戦いは三国志演義の「赤壁の戦い」の元となったと言われています)
■ 北京さん
殺したい奴よりも先に死にそうになったら先に殺しちゃえばいいのかな [22 Good]
■ 湖南さん
恐らく俺のことを殺したいと思ってる人はいないと思う。俺のことを殺したいと思っているのは自分だけ [24 Good]
■ 福建さん
とりあえず何か美味しいものを食べて心を落ち着かせてみよう
■ 山東さん
徳川家康
■ 河北さん
年を取ったら若者に腹をたててはいけないということかな。年寄りが若者より長く生きることはないだろうしな
■ 浙江さん
うちのおばあちゃんは今年97歳。若いころにおばあちゃんをいじめた近所の人たちはみんなもう死んじゃったって
■ 吉林さん
私は私より長生きできるのだろうか
■ 広東さん
万が一彼がこの戦いに勝つとしたら私はいったいどうなるのだろう
■ 江蘇さん
死ぬときは安らかに死にたい
■ 天津さん
私が死んだときに「勝った!」って思う人がいるのかな
■ 河北さん
恨みを抱えて長生きするのもしんどそう
■ 上海さん
これは真理
■ 河南さん
司馬懿もずっとそう思って生きてきたのかな
(訳者注:司馬懿は中国三国時代の魏の曹操の参謀で、魏の権力を司馬家が曹家から奪い取る下地を作った人物です。曹操の孫である魏の第二代皇帝 曹叡が239年に病に伏した際に次期皇帝 曹芳の補佐を曹爽と司馬懿に命じます。179年生まれの司馬懿はこの時60歳で、これより曹爽と司馬懿の権力闘争が始まります。いろいろあって10年後、70歳になった司馬懿はボケたふりをして曹爽を油断させ、その隙をついてクーデターを起こして曹爽一族を皆殺しにし、権力掌握に成功しました)
■ 遼寧さん
まぁ、長生きすればいろいろあるよね。みんな頑張って長生きしよう!
コメント
デヴィ婦人も言ってたな。
「全ての敵が死に絶えるまで、死なない」と。
中国はアレよね 公式試合という名目で呼び寄せて、いきなりルール無用で暴力行為に及ぶ国民性だからな、そんなの誰も聞かんだろ
デヴィ夫人が言うと迫力あるよな。
「殺したいやつがいたことなんか忘れるぐらいまで長生きしろ」が正しい
つまり、そいつがまだ生きてるかどうかなんかどうでもよくなるまで、ってことね。
まあだから、相手が下手に有名人だったりすると面倒なんだよw
伍子胥「楚の平王コロコロしたい」
伍子胥「楚の都落としたった」
伍子胥「平王もう死んでるやん」
伍子胥「なら墓暴いてムチ打ったろ」
寿命で優っても気が済まない人もいるだろなあ
好きな人物でもないけど、なんだかんだでデヴィ夫人は凄いよ
あの歳でそこら辺の若者にもバイタリティで負けてない
則天去私の境地に至れ
無惨様かな
草
かっけえ