「日本の歌う僧侶の般若心経・中国語版を聞いてみよう」という記事が中国版ツイッターのWeiboに掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。
[記事]
日本の歌う僧侶の般若心経中国語版を聞いてみよう
記事引用元: https://weibo.com/2309846073/K61Dg4FQw
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■ 河南さん
なんとなく世俗的な欲望が無くなった気がする [15 Good]
■ 北京さん
色即是空。無理です。できません [9 Good]
(訳者注:色即是空・・・般若心経に出てくる言葉です。この世に存在するすべての形ある物質や現象(色)は、全ては実体のない「空」であり、執着してはならないという意味です)
■ 福建さん
仏教の歌を聞いてこんなに心地よくなるとは思わなかった。なぜだろう [8 Good]
■ 河北さん
そう感じたのはあなただけではないと思う
■ 湖南さん
平静心は最高の境地
■ 広東さん
イライラしているときにこの曲を聴くといいかもね
■ 吉林さん
この曲を聞いたら心が落ち着いた気がする
■ 北京さん
凡所有相皆是虚妄
(訳者注:凡そ相有る所、皆是虚妄なり。「およそ姿・形あるものは、すべて偽りである」という仏教の言葉です)
■ 広東さん
心が洗われる
■ 浙江さん
中国語版いいね
■ 江西さん
頭の中で「空即是色,色即是空」がグルグル回ってる
■ 深センさん
涙が出てきた
■ 北京さん
これいいね
■ 広東さん
静かな気持ちになった
■ 黒龍江さん
もし今人生が楽しくなかったとしても、それを理由に嫌な気分となってはいけない。短い人生に自ら苦渋を植え付ける必要はない
■ 安徽さん
生きていること自体が素晴らしいこと
■ 江蘇さん
毎日忙しいけど、たまにはゆっくりお茶を飲みながら落ち着いて自分を振り返る時間も必要だと感じた。いい作品をありがとう
コメント
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改めて般若心経を読んでみると、前半は徹底した空観だな。
一切空とか俺の財布かよ!
「源平討魔伝」というゲームの中に
「空即是色」あるいは「色即是空」
という名のキャラがいてだなぁ…
そんな名前のキャラはいない。
名前じゃないと思うけど、画面にそういう文字が出るボスはいるね
「クーロンズ・ゲート」に出てきたレジスタンス組織は「是空」と名乗っていた
地獄ステージに出てくる骸骨の台詞
歌う般若心境って、ゴスペル風のこれかと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ
なんかちょっと違う気がするな・・。
聖歌と同じように人々を信仰に惹きつけるために荘厳さや神聖さ美しさの方向に向かって行くんだろうか?
東洋の「境地」は上っ面のこねくりまわしじゃない気がする。
いや君が理解しとらんやんけ
経も聖歌も教理の真髄を知らない一般人を導くものだから、意味どうこうの前に唱和するための物なんだよ
般若心教の核心だって多くの国の人には理解できないサンスクリット語のマントラで、その意味は未だに諸説ある
なんか勘違いしてない?
指は月では無いけどなんとか指差してみようとしてるし
立ってる所境地も人それぞれだし方便も色々だろうし
観る事の自在なヤツが深い修行したらこんな風に物事見えるぞって言ってそうだしw
観音な?聞くことの自在なヤツがこれ聞けばまた違った物言いするだろうし
こんなのもあって良いんじゃないかなぁ
空海「どうもサンスクリットがわからんと般若心経はわからんらしい」
空海「とりあえず長安行くしか無い」
日本語版、中国語版と来たらさらに遡って
サンスクリット版やパーリ語版、聴いてみたくなるよねぇ。
黄檗宗のお経の読み方?が、中国風の発音だと聞いた気がする
お葬式に参列したことがあるけど、葬儀ではあんまり般若心経ってやらんのな
比較検討できるほどの経験値が無いわ
でも宇治の萬福寺は異国風でなかなかおもしろい
夕方のお勤めを見させてもらったけど、太鼓とか鳴り物が付いてて渋い声が引き立つね
般若心経は死や再生や来世や救済を説いているものではないからね。葬儀向きとはいえないだろう。
ざっくりいえば、「煩悩を捨てて智慧に到達すれば憂いなし」という話だから、死者を弔ったり送り出したりするものというより、生者に聞かせるもしくは自分に言い聞かせるもの。
北京語なんて北方騎馬民族の土人語だろ。
発音からしてサンスクリットや、それを漢字化した時の呉音と無関係なのでは?
しかし大陸で、唐に先立って仏教、それも大乗仏教を振興したのは、やはり北方騎馬民族である鮮卑の北魏王朝だからね。雲崗石窟は山西省にあって北京にもほど近い。それを継承したのが洛陽近郊の龍門石窟だ。
そもそも、北方民族によるそうした仏教的な背景があったからこそ、玄奘をはじめとする僧たちによる仏典の将来や翻訳へとつながる。彼は西域で仏僧になったわけではなく、中国の仏僧として西域に赴いたんだから。
それに当時の唐における発音の主流は、すでに(日本でいう)「漢音」になりつつあったんじゃないかと思うが。
歌って何してんの?
ブッダなら呆れるだろ、そんな暇あったら悟りを開くために思惟しろよって
念仏唱えて救われるってのは都合のいいやり方で内容が重要だろ
でも般若心経は大乗仏教からすれば劇薬だから形骸化させて歌ってイメージソング化したいんだろうな
だって内容は一般の仏教思想を全否定してるようなもの
前世、来世そんなものあるか生もなければ死もない善も悪もない全ては生々流転、始めからあるものが形を変えているだけ
そうなったら先祖供養って何?ってなってビジネス終了、だってお釈迦様自体が家族を捨て国を捨ててる時点で御先祖様を敬いましょうって教える訳がない、そんなの苦笑いだろ
「念仏唱えて救われる」っていうのは浄土宗の系列だろ。
般若心経は「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」と唱えろ、と言っている。
いずれにせよ、このプロジェクトの中心になってる僧侶は禅宗の人だし、
たとえ「一般の仏教思想を全否定」してるとしても、さして問題はないのではないかな(笑)
「祈りに堕ちるほど落ちぶれてねぇんだわ」とかハードボイルドな言を
どこかの主人公が言ってた気がするけどあれは誰だったか
どんな宗教にも通じている「祈り」っていう不思議な形は
ヒトに「手と口と思考とを禁じる時間を課す」って事かと思う
その後で取り戻した「我」には柔らかさが戻ってたりする
自分の心一つで世界は変わるのか?
状況は1μも変わってないのに違った景色が見えるなら
確かに「世界は変わる」って言っていいんじゃないかと
古代や現代の中国なんかじゃあなくて 仏教そのものを生んだ天竺インドは本当にすばらしいなあ
本来の仏教ってもっと自由なものだと思うし、こういう新しい試みは全然ありだと思う
インドのサンスクリット語の般若心経は歌ってるように聞こえるから原点回帰なのかもしれない