「日本統治時代の遼寧省大連市でもらえた神社仏閣の御朱印を集めてみた」という記事が中国版InstagramのREDに掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。
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[記事]
日本統治時代の遼寧省大連市にはたくさんの日本の神社や寺があった。それらの神社や寺では、現在の日本と同様に御朱印を貰うことができた。
当時の大連やその周辺でもらうことのできた御朱印を集めてみた。
(ソースは古今御朱印研究所やその他Webサイト)
記事引用元: https://www.xiaohongshu.com/explore/6621f608000000001c009ff1
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■ 在日中国さん
大連には東本願寺別院があって、今は南山大廟としと現存している。大連外国語学院の位置に西本願寺もあったけど今はもうない。京都の東本願寺の資料室に詳しい資料があって、なかなか面白い [11 Good]
■ 遼寧さん
西本願寺はまだあるよ。大連市京劇院になってて、大連外国語学院の東数百メートル
■ 同じ在日中国さん
それが東本願寺。最初は図書館になって、雑技団になって、部隊が駐屯して、今は南山大廟という京劇院になってる
■ 広東さん
大連神社は終戦後に日本に持って帰られた [10 Good]
■ 在日中国さん
その通り。大連神社は今は下関にある。でも太鼓だけは持って帰れなかったようで、大連市博物館にある
■ 別の在日中国さん
大連神社は今は下関の赤間神宮の中にあるね
■ 在日中国さん
李香蘭が出てる日本の国策映画「熱砂の誓ひ」には北京神社が出てくる。御朱印があったかどうかは知らない [6 Good]
■ 別の在日中国さん
ハンコ発見
■ 北京さん
石家荘には石家荘神社があった。戦後は烈士陵園になった [6 Good]
■ 在日中国さん
錦州神社は遼瀋戦役記念館になったな
■ 北京さん
日本の侵略の歴史
■ 河北さん
字がきれい
■ 遼寧さん
天后宮は中華民国歴を使ってる。当時の大連では日本人も中華民国歴を使ってたんだね
■ 在日中国さん
1932年まではな
(訳者注:中華民国歴(民国)は辛亥革命で中華民国が成立した1912年を元年とする中華民国の紀元で、台湾では現在でも使われています。民国17年は昭和3年です)
■ 在日中国さんさん
天津神社
■ 別の在日中国さん
どこ?福岡?
■ 最初の在日中国さん
さいたま市
■ 在日中国さん
下関の赤間神宮の中にある現在の大連神社
■ 在日中国さん
御朱印は以前は寺社がお香のお金を稼ぐ手段だったが、現在は地元の観光協会と協力して経済を牽引するための観光ゲームになっている
■ 上海さん
すごい。よくこんなのが残ってたな。参考になりました
コメント
>最初は図書館になって、雑技団になって、部隊が駐屯して、今は南山大廟という京劇院
面白い歴史だな
いいな~それ欲しい。
こういうの残ってるものなんだなあ
やっぱり正統性は中華民国にあるんだな
やはり中国人の方が人間らしいな、隣よりはww😁。
中国の反日はあくまで「政策」だからな。
共産党政府が「反日だ!」といえば人民も反日になるし、「親日だ!」といえば人民も親日になる。だからわかりやすいし、暴走する危険も少ない。
そこが某半島国とはちがうところ。
祖父が大連の駅長してた。でも御朱印は持って帰ってこなかったな。
なんかプレミア付きそうな御朱印
もう手に入らないからな
「中国人なんかに書いてやる御朱印なんてないわい」なんて差別される事が、なかったという事では?
属国は日本が敗戦した途端に手のひら返して神社仏閣や日本の建築物を壊していったからな~
宗主様みたいに残してはくれなかったわ…
結果、ソウルはマッチ箱みたいな張りぼてマンションだらけの何ひとつ文化価値のない薄っぺらい都市になったけど、賤民共にはお似合いの都市だわ
当時、向こうにも御朱印あったのか
へえーよく残ってたなこれ